家族という聖域
2010年08月07日
100歳以上の高齢者の所在が分からなくなっているケースが多発していますね。
ニュースで、ある福祉の関係者が
「日本の社会では”家族”というのは一種の”聖域”である」
と発言されていましたが
その”聖域”にはなかなか他人が立ち入れない、というのが
原因の一つにあるのでしょうね。
聖域とはうまく言い当てている、と思って聞いていましたが
確かに、私の業務でさえそう感じることがあります。
任意後見契約を締結し、老後の万一にせっかく備えたのに
いざ「その時」がくると、
普段交際も無い「兄弟」があちこちから出現して
異議を唱えだす・・・・
本人の権利擁護と「血縁」、とのせめぎあいのなかで非常に悩む事態に陥ってしまいます。
「あなたの仕事は、本人の権利擁護だろう。”家族”の利益に振り回されてはいけない」と
お世話になっている弁護士の先生に叱責されても、次の行動になかなか移れないという
「あってはならない」こともありました。
「家族」という正義の御旗が振られてしまうと、
なかなか他人はそれ以上踏み込めない気持ちはよくわかります。
日本の社会の歴史的な背景もあるのでしょうか。
難しいです。
ニュースで、ある福祉の関係者が
「日本の社会では”家族”というのは一種の”聖域”である」
と発言されていましたが
その”聖域”にはなかなか他人が立ち入れない、というのが
原因の一つにあるのでしょうね。
聖域とはうまく言い当てている、と思って聞いていましたが
確かに、私の業務でさえそう感じることがあります。
任意後見契約を締結し、老後の万一にせっかく備えたのに
いざ「その時」がくると、
普段交際も無い「兄弟」があちこちから出現して
異議を唱えだす・・・・
本人の権利擁護と「血縁」、とのせめぎあいのなかで非常に悩む事態に陥ってしまいます。
「あなたの仕事は、本人の権利擁護だろう。”家族”の利益に振り回されてはいけない」と
お世話になっている弁護士の先生に叱責されても、次の行動になかなか移れないという
「あってはならない」こともありました。
「家族」という正義の御旗が振られてしまうと、
なかなか他人はそれ以上踏み込めない気持ちはよくわかります。
日本の社会の歴史的な背景もあるのでしょうか。
難しいです。
Posted by しかない行政書士事務所 at 23:10│Comments(0)
│成年後見制度