家族という聖域

100歳以上の高齢者の所在が分からなくなっているケースが多発していますね。

ニュースで、ある福祉の関係者が

「日本の社会では”家族”というのは一種の”聖域”である」
と発言されていましたが

その”聖域”にはなかなか他人が立ち入れない、というのが
原因の一つにあるのでしょうね。

聖域とはうまく言い当てている、と思って聞いていましたが

確かに、私の業務でさえそう感じることがあります。

任意後見契約を締結し、老後の万一にせっかく備えたのに
いざ「その時」がくると、
普段交際も無い「兄弟」があちこちから出現して
異議を唱えだす・・・・

本人の権利擁護と「血縁」、とのせめぎあいのなかで非常に悩む事態に陥ってしまいます。

「あなたの仕事は、本人の権利擁護だろう。”家族”の利益に振り回されてはいけない」と
お世話になっている弁護士の先生に叱責されても、次の行動になかなか移れないという
「あってはならない」こともありました。

「家族」という正義の御旗が振られてしまうと、
なかなか他人はそれ以上踏み込めない気持ちはよくわかります。

日本の社会の歴史的な背景もあるのでしょうか。

難しいです。




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Posted by しかない行政書士事務所 at 23:10│Comments(0)成年後見制度
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