亡き人に・・・
2009年08月26日
今日は、少し夏ばて気味の疲れた体で大阪までセミナーに行ってきました。
3時間のセミナーは弱った体には応えました・・・
でもどうしても聞きたい、知財に関するセミナーだったので、がんばった!
セミナーが終わり、よろよろと帰っていると、途中のお寺の看板に目が止まりました。
そこには
「亡き人に 迷うなと 拝まれる私」
と筆字で大きく書かれていました。
それをみて自分でもびっくりする位、はっとしました。
悩むな、悲しむな、怒るな、ではきっと通り過ぎてしまったと思います。
「迷うな」
なんだか奥が深い・・・
迷う、には色々なものが含まれているような気がします。
人である以上、迷いはつきものなのでしょうね。
道を見失いそうになったり、良くない道に入りそうになったり。
煩悩、とでもいうものでしょうか。
それを亡き人が見守っている、というところでしょうか。
帰りの電車で、昨年亡くなった母のことをずっと考えていました。
私の母は大変忍耐強く、芯の通った人でしたが、晩年は
「私が死んだら、あなた達を守ってあげる」
と、よく私たち姉妹に言っていました。
その言葉が、ずっと私の周りにまとわりついて、生きていたとき以上に身近に母を感じます。
亡くなってから、あの気丈な母にも、私にも言えない色々な思いがあったのだろうな、と想像したものです。
母が亡くなって1年半。
これは、私が滋賀に転居してきた時間と同じです。
生活が激変する娘を思って、私が悲しんでいるヒマのないように、引越しの忙しいさなかに急いで逝ってしまったような気もします。
亡き人に迷うなと諭される。
信心深い人ならもっと上手く説明できるのでしょうが、
信心のない私には、母を思い出して、母のように毅然として生きていかなくては、と思うのが精一杯です。
3時間のセミナーは弱った体には応えました・・・
でもどうしても聞きたい、知財に関するセミナーだったので、がんばった!
セミナーが終わり、よろよろと帰っていると、途中のお寺の看板に目が止まりました。
そこには
「亡き人に 迷うなと 拝まれる私」
と筆字で大きく書かれていました。
それをみて自分でもびっくりする位、はっとしました。
悩むな、悲しむな、怒るな、ではきっと通り過ぎてしまったと思います。
「迷うな」
なんだか奥が深い・・・
迷う、には色々なものが含まれているような気がします。
人である以上、迷いはつきものなのでしょうね。
道を見失いそうになったり、良くない道に入りそうになったり。
煩悩、とでもいうものでしょうか。
それを亡き人が見守っている、というところでしょうか。
帰りの電車で、昨年亡くなった母のことをずっと考えていました。
私の母は大変忍耐強く、芯の通った人でしたが、晩年は
「私が死んだら、あなた達を守ってあげる」
と、よく私たち姉妹に言っていました。
その言葉が、ずっと私の周りにまとわりついて、生きていたとき以上に身近に母を感じます。
亡くなってから、あの気丈な母にも、私にも言えない色々な思いがあったのだろうな、と想像したものです。
母が亡くなって1年半。
これは、私が滋賀に転居してきた時間と同じです。
生活が激変する娘を思って、私が悲しんでいるヒマのないように、引越しの忙しいさなかに急いで逝ってしまったような気もします。
亡き人に迷うなと諭される。
信心深い人ならもっと上手く説明できるのでしょうが、
信心のない私には、母を思い出して、母のように毅然として生きていかなくては、と思うのが精一杯です。
Posted by しかない行政書士事務所 at 21:14│Comments(0)
│雑感
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